【キミスイ】ミスチル”himawari”の歌詞解釈!

  • はじめに

 みなさんはじめまして。spareblogです。昨日ブログを始めて、さっそく。前から書きたいと思ってたことを。

 

  • himawari

 リリースされたのはもう結構前ですね。Mr.Childrenさんのhimawari。映画「君の膵臓をたべたい」の主題歌ですね。「キミスイ」は見ました。いやぁ、よかったです。ただの青春ラブストーリーだと思ったら、全然違くて、いい意味で裏切られました。何度見ても、どういう展開になるかわかっているのに、泣けてきます。いい映画に出会えました笑。

 

 さて、 私はミスチルファンなのですが、その中でも特に好きな曲のひとつです。

この曲は、「キミスイ 」のために書き下ろされ、桜井さん自身が、

この物語の中にある苦しい程の美しさ、強さ、優しさ、残酷さ。それらを包み込みながらも更に拡がりを持って押し出していける、そんな音を探して探して、やっとのこと辿り着いた曲は、自分の想像を超え、また新しい力を与えてくれるものでした

と語っています。

 

  • 歌詞

 himawariの歌詞は以下です。

作詞:Kazutoshi Sakurai 作曲:Kazutoshi Sakurai

優しさの死に化粧で
笑ってるように見せてる
君の覚悟が分かりすぎるから
僕はそっと手を振るだけ

「ありがとう」も「さよなら」も
僕らにはもういらない
「全部嘘だよ」そう言って笑う君を
まだ期待してるから

いつも
透き通るほど真っ直ぐに
明日へ漕ぎだす君がいる
眩しくて 綺麗で 苦しくなる
暗がりで咲いてるひまわり
嵐が去ったあとの陽だまり
そんな君に僕は恋してた

思い出の角砂糖を
涙が溶かしちゃわぬように
僕の命と共に尽きるように
ちょっとずつ舐めて生きるから

だけど
何故だろう 怖いもの見たさで
愛に彷徨う僕もいる
君のいない世界って
どんな色をしてたろう?
違う誰かの肌触り
格好つけたり はにかんだり
そんな僕が果たしているんだろうか?

諦めること
妥協すること
誰かに合わせて生きること
考えてる風でいて
実はそんなに深く考えていやしないこと
思いを飲み込む美学と
自分を言いくるめて
実際は面倒臭いことから逃げるようにして
邪にただ生きている

だから
透き通るほど真っすぐに
明日へ漕ぎ出す君をみて
眩しくて きれいで 苦しくなる
暗がりで咲いているひまわり
嵐が去った後の陽だまり
そんな君に僕は恋してた
そんな君を僕は ずっと

 

 himawariはMVも公開されています。

 


Mr.Children「himawari」Music Video

 

  MVは、映画「君の膵臓をたべたい」とは少しテイストの違った作られ方をしているように思えます。

 

 

  • 歌詞を考える。

 この記事では、次の3点について自分なりに歌詞を考えていきます。(もちろん、解釈は千差万別で、あくまでも個人的な解釈ですので、そのようにお考えください。)この曲は、映画「キミスイ 」のために書き下ろされただけあって、映画に沿って作られている気がします。なので、以下、映画「キミスイ 」のネタバレを含みますので、ご了承ください。

 

  1.  歌詞と映画の主人公「桜良(さくら)」の共通するところ
  2.  なんで”死化粧”?
  3.  ”邪にただ生きている”?

 

 1.  歌詞と映画の主人公「桜良(さくら)」の共通するところ

 先ほどにも書いたように、この曲は映画に沿って作られているので、歌詞の中の”僕”は、映画の「僕」、歌詞の中の”君”は、映画の「桜良」だと思われます。

 ざっと映画を振り返ると、「桜良」は「僕」のクラスメートで、膵臓の病気を患っているが、「僕」と家族以外には教えず、いつも笑顔で、陽気に振る舞っています。「僕」は、偶然「桜良」の病気のことを知ってしまい、残りの時間を「桜良」と共に過ごします。

 さて、歌詞の中で、「桜良」は、

優しさの死に化粧で
笑ってるように見せてる

透き通るほど真っ直ぐに
明日へ漕ぎだす

眩しくて 綺麗で 苦しくなる
暗がりで咲いてるひまわり
嵐が去ったあとの陽だまり

 と書かれています。これは、病気を隠し、いつも笑って、まっすぐに生きている、まさに、病気という暗いもののなかで、明るく咲くひまわりのような「桜良」を表しています。

 「僕」は、そんな「桜良」を見て、”恋してた”わけです。映画「キミスイ 」は、恋愛ストーリーではないと言いましたが、「僕」と「桜良」の間にはそういう感情は間違いなくあると思います。でも、そうさせない何かがふたりの中にあったのです。それは、映画の中で「桜良」の手紙にもあった、「僕」を「特別ななにかにしたくない」っていう、「桜良」の優しい気持ちかもしれません。

 

2.  なんで”死化粧”?

優しさの死に化粧で
笑ってるように見せてる

君の覚悟が分かりすぎるから
僕はそっと手を振るだけ

 歌詞では、「桜良」の優しさ・微笑みを、”死化粧”と表しています。なぜ、ただの”化粧”ではいけなかったのでしょうか。そもそも、”死化粧”ってなんでしょうか。

遺体の顔や髪を、見苦しくなく整え、化粧をすること。薄化粧。湯かんの後、病死でほほがそげていれば、脱脂綿を含ませたり、女性では薄く化粧をほどこしたり、男性の場合ではひげを剃ったりします。

出典:死化粧 (しにげしょう)とは│お葬式用語集 | イオンライフの葬儀・お葬式

  つまり、”薄化粧”のことです。

 化粧をしても、その気持ちがバレてしまうくらい薄い化粧だから、「僕」は、”君の覚悟がわかりすぎ”てしまう、ということを言いたかったのではないでしょうか。では、”薄化粧”ではダメだったんでしょうか?

 僕はダメだと思います。いつか死ぬ、”死”と隣り合わせで生きている「桜良」の状況を表現するにはやはり、”死化粧”がピッタリのように僕には思います。本来の、”死化粧”としての意味ではなく、”薄い化粧”としての意味で使っているように僕には思えます。

 それでも「僕」は、その”覚悟”に気づいてないふりをして、”そっと手を振るだけ”のように、「桜良」と普通に接しているのです。

 

3.  ”邪にただ生きている”?

諦めること
妥協すること
誰かに合わせて生きること
考えてる風でいて
実はそんなに深く考えていやしないこと
思いを飲み込む美学と
自分を言いくるめて
実際は面倒臭いことから逃げるようにして
邪にただ生きている

 ここは、悩みました。「僕」のことなのか「桜良」のことなのか、もしくはどちらでもないのか。「僕」にも「桜良」にも、どちらにも当てはまらないようで当てはまる、そんな気がするんです。

 

 映画の中の「僕」は、友達もおらず、ずっと本と向きあっている青年として描かれています。でもそれ自体が”実はそんなに深く考えていやしな”く、”面倒臭いことから逃げるようにして”いるだけなのかもしれません。

 一方、「桜良」は、友達がたくさんいることで、、”諦め”たり、”妥協”したり、”誰かに合わせて生き”ているのかもしれません。そんな「桜良」は、常に本と向き合う「僕」に魅力を感じているのです。

 

 なので、「僕」も「桜良」も、”邪にただ生きている”のではないでしょうか?

 

 正反対のように見えて実は二人は同じ。だからこそ”通じ合えるなにか”が二人にあって、結ばれたのではないでしょうか。

 

 

 以上、3点について自分なりに考察してみました。1/17に映画「君の膵臓をたべたい」のDVDが発売され、もう一度映画を見て、himawariの歌詞を少し考えてみて、この記事を書きました。あくまでも私の個人的な感想なので、本当は違うかもしれませんが、その点、ご了承ください。

 

by spareblog